学び直しも、新たな学びも。パソコン・スマホ・タブレット等を使って全国各地お好きな場所で受講できます。ぜひお気軽にご受講ください。
『万葉集』は、現存するわが国最古の歌集で、二〇巻からなり、約四五〇〇首ほどの和歌が収められています。 いまから一三〇〇年ほど前に作られたとされます。 『万葉集』には、奈良時代の宮廷文化を背景とする世界が展開されています。 当時の宮廷文化は、私たちが想像する以上に高度な洗練を見せており、また時として猥雑さを帯びていたりもします。 言い換えるなら、実に多様なありかたをうかがうことができます。 この講座では、まずは『万葉集』の概要についてお話をし、その上で、時代の流れに沿いつつ、主要な歌人の作に焦点を当ててみたいと思っております。 この講座を御視聴いただくことで、『万葉集』の世界の全容を理解していただけるはずです。
〇第一回 『万葉集』とはどんな作品なのか
『万葉集』がどのよう作品であったのかをながめていきます。まずは成立の事情のあらましについて触れ、さらにその和歌の分類方法、いわゆる三大部立とされる雑歌・相聞・挽歌とは何を意味するのかについて考えていきます。古代の人びとが、死をどのように捉えていたかについてもお話しします。その上で、さらに、寄物陳思歌などのありように触れ、古代の和歌の表現構造の本質がどこにあったのかについて考えたいと思います。
〇第二回 額田王 初期万葉の時代」
万葉の夜明けともいうべき時代、それを一般に初期万葉の時代と呼んでいます。その時代を代表する歌人が、額田王でありました。額田王は、それまでの呪術的な世界とつよく結びついていた歌を、そこから切り離し、宮廷詩、つまり宮廷の和歌としての新たな性格を与えました。和歌の歴史において、きわめて重要な役割を果たした歌人といえます。その代表作である「近江遷都の歌」「春秋判別歌」などを、丹念に読み解いていきます。
〇第三回 柿本人麻呂①
柿本人麻呂は、『万葉集』最大の歌人といえます。和歌の歴史の中で人麻呂の果たした役割はさまざまにありますが、とりわけ長歌の様式を完成させたことが重要です。一方、人麻呂の実像は謎に包まれており、その存在は伝説化されてもいます。人麻呂の終焉の歌の中にその伝説化の一端を探り、さらには壬申の乱で廃墟と化した近江京への鎮魂の意味を込めて歌われた「近江荒都歌」を取り上げ、その背後の事情とともに詳しくお話ししてみたいと思います。
〇第四回 柿本人麻呂②
柿本人麻呂の活躍した時期は、持統天皇の時代とほぼ重なります。人麻呂は、宮廷歌人として、持統天皇の意を受けた作を、数多く作っています。持統天皇の最大の政治的課題は、その後継者として、孫の軽皇子を定めることでした。その意を体して作られた、「安騎野の遊猟歌」、さらには持統天皇の吉野離宮行幸に際して詠まれた「吉野讃歌」などの宮廷儀礼歌について、その背後の事情とともに詳しくお話ししてみたいと思います。
〇第五回 柿本人麻呂③
柿本人麻呂についてお話しする最後に、やはり宮廷儀礼歌に位置づけられる宮廷挽歌を取り上げます。さらに、宮廷社会を背景とはしていますが、人麻呂の私的な世界を描いたとされる「石見相聞歌」「泣血哀慟歌」を取り上げます。後者は亡妻挽歌の始発として位置づけられている作です。そして、最後に『万葉集』の重要な素材となった謎の歌集「柿本人麻呂歌集」について、お話ししたいと思います。文字表記の上で著しい特色をもつ歌集です。
〇第六回 高市黒人と山部赤人
この回では、柿本人麻呂以降の歌人として、高市黒人と山部赤人について取り上げます。 高市黒人は、人麻呂にやや遅れて現れた宮廷歌人ですが、とりわけ旅の歌に大きな特徴を持ちます。旅の孤独と愁いとに初めて形を与えたのが、この黒人でありました。一方、山部赤人は黒人よりもさらに遅れて現れた宮廷歌人です。自然描写に優れ、しばしば叙景歌人と評されますが、自然の背後に潜む霊的な意志にまなざしを向けているところに大きな特徴があります。
〇第七回 高橋虫麻呂
柿本人麻呂が長歌の様式を完成させた後、長歌の表現は、人麻呂の亜流であるところから、なかなか抜け出せませんでした。そこに、新たな風を送り込んだのが高橋虫麻呂です。虫麻呂は、旅と伝説の歌人と評されますが、とりわけ伝説を歌った歌に大きな特徴を持ちます。歌の内部に語り手を設定し、平安時代の物語文学の草子地を思わせるような手法で、伝説の世界を歌い上げています。真間手児名の歌、葦屋のうなひ娘子を歌った歌などを取り上げます。
〇第八回 大伴旅人
大伴旅人は、『万葉集』の編纂者でもある家持の父です。大伴氏は、代々武門の家柄として知られる名族でしたが、旅人の時代には、新たに擡頭した藤原氏の勢力に押され、その晩年には、大宰帥として九州の地に追いやられます。旅人は、そのわが身のありようを、どこか韜晦するかのように、漢詩文の知識を背景とする脱俗的な風流の世界に沈潜します。そうした旅人のありようを、「松浦川に遊ぶ歌」「酒を讃むる歌」などを通じてながめていきます。
〇第九回 山上憶良①
山上憶良は、和歌の表現の可能性を大きく拡げた歌人です。憶良は、社会の実相を深く見つめ、最晩年には己の病と死を見据えるような歌を残しています。それは、和歌の世界に「思想」を導き入れることでもありました。その背後には、豊かな漢詩文の知識、仏教へのつよい関心があります。ここでは筑前守として九州の地に赴任して以降の作、「子らを思ふ歌」を含む「嘉摩郡三部作」、「貧窮問答歌」を中心にお話しします。
〇第一〇回 山上憶良②
憶良は、和歌の表現の可能性を拡げましたが、それに飽き足らず、散文(漢文)を用いることで、己の思索をさらに深めようとします。とりわけ、己の病の原因がどこにあるのかを、徹底的に追求しようとします。一方、憶良は、儒教的な倫理観を絶えず持ち続けた人物でした。ここでは、そうした憶良の散文の作、あるいは辞世の歌などを取り上げ、さらには、憶良の到達点も評しうる「古日の歌」を詳しくながめることで、その人物の全容に迫りたいと思います。
〇第十回 八宮の遺言
光源氏が亡くなり、物語から退場した後、世の中には大きな虚脱感が残り、光源氏を継ぐ人は一人もいなかったと語られます。源氏物語はもう、光源氏のような圧倒的な存在、超越的な主人公を求めてはいないのです。わたしたちと同じような、欠点も多く、ちょっとだけ素敵な若者たちをめぐって続編は始まっていきます。その中で新たなキーパーソンになるのが宇治に住む八宮です。八宮とは何者なのか、なぜ宇治に住むようになったか見ていきましょう。
〇第十一回 東歌と防人歌
『万葉集』には、巻一四に東歌が、巻一六に防人歌が収められています。どちらも東国の庶民たちの歌になります。それを根拠に、『万葉集』は、上は天皇から下は庶民に及ぶ国民歌集だとする理解もあります。しかし、それは誤りであり、どちらの存在も『万葉集』を宮廷歌集と見ることとは、少しも矛盾しないことを述べていきます。ただし、東歌と防人歌には、大きな違いもあります。東国とはどのような世界であったのかも含めて、詳しく見ていきます。
〇第十二回 『万葉集』の和歌の本質 巻一六から
『万葉集』の巻一六は、きわめて特異な巻です。全体は三つの部分に分かれますが、ここでは宴の場を背景にもつ戯笑歌の部分を取り上げます。ここに収められた歌は、『万葉集』の一般の歌とはかなり性格を異にしており、非万葉あるいは反万葉を志向する歌として捉えることができます。それゆえ、それらの歌の表現を仔細に検証することは、『万葉集』の和歌の本質がどこにあったのかを明らかにすることにもつながります。
〇第一三回 大伴家持①
大伴家持は、『万葉集』の編纂に深くかかわった人物です。『万葉集』の末尾四巻を「家持の歌日誌」とする見方もあります。『万葉集』の一割強ほどの歌が、家持の歌でありました。以下、三回に分けて家持について見ていきますが、今回は、その青春時代、家持がとりわけ深く関わった女性、紀女郎とのやりとりをながめていきます。お互いが、倒錯した関係を演技として楽しんでいること、そこに天平期の爛熟した貴族文化の一端がうかがえることを指摘します。
〇第一四回 大伴家持②
大伴家持は、天平一八年(七四六)、越中守となります。以後、満五年をこの越中で過ごすことになります。越中は北国ですから、奈良の都とは風土を大きく異にします。その異質な風土に触れる中で、さまざまな発見がありました。みやびの世界からながめた鄙の世界の発見があり、また同時にみやびの価値の新たな発見、つまり再認識がありました。ここでは、その様相を「立山の賦」「越中秀吟」などの作を通じて、ながめてみたいと思います。
〇第一五回 大伴家持③
天平勝宝三年(七五一)、大伴家持は越中守の任を終え、都に戻ります。藤原仲麻呂が権勢を掌握する中、大伴氏のような守旧派は、徐々に窮地に追い込まれていきます。そこで詠まれた歌が、家持の最高傑作とされる「春愁三首」です。家持はさらに、大伴氏一族の結束を訴え、聖武天皇の御代への懐旧の思いを募らせたりもします。しかし、橘奈良麻呂の変の後、家持は因幡守に左遷されることになります。そこで詠まれたのが、『万葉集』の最後の歌になります。
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≪日本古典への招待≫
~万葉集~
【『万葉集』を読む】
『万葉集』は、現存するわが国最古の歌集で、二〇巻からなり、約四五〇〇首ほどの和歌が収められています。 いまから一三〇〇年ほど前に作られたとされます。 『万葉集』には、奈良時代の宮廷文化を背景とする世界が展開されています。 当時の宮廷文化は、私たちが想像する以上に高度な洗練を見せており、また時として猥雑さを帯びていたりもします。 言い換えるなら、実に多様なありかたをうかがうことができます。 この講座では、まずは『万葉集』の概要についてお話をし、その上で、時代の流れに沿いつつ、主要な歌人の作に焦点を当ててみたいと思っております。 この講座を御視聴いただくことで、『万葉集』の世界の全容を理解していただけるはずです。
【講座カリキュラム:前期講座】
〇第一回 『万葉集』とはどんな作品なのか
『万葉集』がどのよう作品であったのかをながめていきます。まずは成立の事情のあらましについて触れ、さらにその和歌の分類方法、いわゆる三大部立とされる雑歌・相聞・挽歌とは何を意味するのかについて考えていきます。古代の人びとが、死をどのように捉えていたかについてもお話しします。その上で、さらに、寄物陳思歌などのありように触れ、古代の和歌の表現構造の本質がどこにあったのかについて考えたいと思います。
〇第二回 額田王 初期万葉の時代」
万葉の夜明けともいうべき時代、それを一般に初期万葉の時代と呼んでいます。その時代を代表する歌人が、額田王でありました。額田王は、それまでの呪術的な世界とつよく結びついていた歌を、そこから切り離し、宮廷詩、つまり宮廷の和歌としての新たな性格を与えました。和歌の歴史において、きわめて重要な役割を果たした歌人といえます。その代表作である「近江遷都の歌」「春秋判別歌」などを、丹念に読み解いていきます。
〇第三回 柿本人麻呂①
柿本人麻呂は、『万葉集』最大の歌人といえます。和歌の歴史の中で人麻呂の果たした役割はさまざまにありますが、とりわけ長歌の様式を完成させたことが重要です。一方、人麻呂の実像は謎に包まれており、その存在は伝説化されてもいます。人麻呂の終焉の歌の中にその伝説化の一端を探り、さらには壬申の乱で廃墟と化した近江京への鎮魂の意味を込めて歌われた「近江荒都歌」を取り上げ、その背後の事情とともに詳しくお話ししてみたいと思います。
〇第四回 柿本人麻呂②
柿本人麻呂の活躍した時期は、持統天皇の時代とほぼ重なります。人麻呂は、宮廷歌人として、持統天皇の意を受けた作を、数多く作っています。持統天皇の最大の政治的課題は、その後継者として、孫の軽皇子を定めることでした。その意を体して作られた、「安騎野の遊猟歌」、さらには持統天皇の吉野離宮行幸に際して詠まれた「吉野讃歌」などの宮廷儀礼歌について、その背後の事情とともに詳しくお話ししてみたいと思います。
〇第五回 柿本人麻呂③
柿本人麻呂についてお話しする最後に、やはり宮廷儀礼歌に位置づけられる宮廷挽歌を取り上げます。さらに、宮廷社会を背景とはしていますが、人麻呂の私的な世界を描いたとされる「石見相聞歌」「泣血哀慟歌」を取り上げます。後者は亡妻挽歌の始発として位置づけられている作です。そして、最後に『万葉集』の重要な素材となった謎の歌集「柿本人麻呂歌集」について、お話ししたいと思います。文字表記の上で著しい特色をもつ歌集です。
〇第六回 高市黒人と山部赤人
この回では、柿本人麻呂以降の歌人として、高市黒人と山部赤人について取り上げます。 高市黒人は、人麻呂にやや遅れて現れた宮廷歌人ですが、とりわけ旅の歌に大きな特徴を持ちます。旅の孤独と愁いとに初めて形を与えたのが、この黒人でありました。一方、山部赤人は黒人よりもさらに遅れて現れた宮廷歌人です。自然描写に優れ、しばしば叙景歌人と評されますが、自然の背後に潜む霊的な意志にまなざしを向けているところに大きな特徴があります。
〇第七回 高橋虫麻呂
柿本人麻呂が長歌の様式を完成させた後、長歌の表現は、人麻呂の亜流であるところから、なかなか抜け出せませんでした。そこに、新たな風を送り込んだのが高橋虫麻呂です。虫麻呂は、旅と伝説の歌人と評されますが、とりわけ伝説を歌った歌に大きな特徴を持ちます。歌の内部に語り手を設定し、平安時代の物語文学の草子地を思わせるような手法で、伝説の世界を歌い上げています。真間手児名の歌、葦屋のうなひ娘子を歌った歌などを取り上げます。
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〇第八回 大伴旅人
大伴旅人は、『万葉集』の編纂者でもある家持の父です。大伴氏は、代々武門の家柄として知られる名族でしたが、旅人の時代には、新たに擡頭した藤原氏の勢力に押され、その晩年には、大宰帥として九州の地に追いやられます。旅人は、そのわが身のありようを、どこか韜晦するかのように、漢詩文の知識を背景とする脱俗的な風流の世界に沈潜します。そうした旅人のありようを、「松浦川に遊ぶ歌」「酒を讃むる歌」などを通じてながめていきます。
〇第九回 山上憶良①
山上憶良は、和歌の表現の可能性を大きく拡げた歌人です。憶良は、社会の実相を深く見つめ、最晩年には己の病と死を見据えるような歌を残しています。それは、和歌の世界に「思想」を導き入れることでもありました。その背後には、豊かな漢詩文の知識、仏教へのつよい関心があります。ここでは筑前守として九州の地に赴任して以降の作、「子らを思ふ歌」を含む「嘉摩郡三部作」、「貧窮問答歌」を中心にお話しします。
〇第一〇回 山上憶良②
憶良は、和歌の表現の可能性を拡げましたが、それに飽き足らず、散文(漢文)を用いることで、己の思索をさらに深めようとします。とりわけ、己の病の原因がどこにあるのかを、徹底的に追求しようとします。一方、憶良は、儒教的な倫理観を絶えず持ち続けた人物でした。ここでは、そうした憶良の散文の作、あるいは辞世の歌などを取り上げ、さらには、憶良の到達点も評しうる「古日の歌」を詳しくながめることで、その人物の全容に迫りたいと思います。
〇第十回 八宮の遺言
光源氏が亡くなり、物語から退場した後、世の中には大きな虚脱感が残り、光源氏を継ぐ人は一人もいなかったと語られます。
源氏物語はもう、光源氏のような圧倒的な存在、超越的な主人公を求めてはいないのです。
わたしたちと同じような、欠点も多く、ちょっとだけ素敵な若者たちをめぐって続編は始まっていきます。
その中で新たなキーパーソンになるのが宇治に住む八宮です。
八宮とは何者なのか、なぜ宇治に住むようになったか見ていきましょう。
〇第十一回 東歌と防人歌
『万葉集』には、巻一四に東歌が、巻一六に防人歌が収められています。どちらも東国の庶民たちの歌になります。それを根拠に、『万葉集』は、上は天皇から下は庶民に及ぶ国民歌集だとする理解もあります。しかし、それは誤りであり、どちらの存在も『万葉集』を宮廷歌集と見ることとは、少しも矛盾しないことを述べていきます。ただし、東歌と防人歌には、大きな違いもあります。東国とはどのような世界であったのかも含めて、詳しく見ていきます。
〇第十二回 『万葉集』の和歌の本質 巻一六から
『万葉集』の巻一六は、きわめて特異な巻です。全体は三つの部分に分かれますが、ここでは宴の場を背景にもつ戯笑歌の部分を取り上げます。ここに収められた歌は、『万葉集』の一般の歌とはかなり性格を異にしており、非万葉あるいは反万葉を志向する歌として捉えることができます。それゆえ、それらの歌の表現を仔細に検証することは、『万葉集』の和歌の本質がどこにあったのかを明らかにすることにもつながります。
〇第一三回 大伴家持①
大伴家持は、『万葉集』の編纂に深くかかわった人物です。『万葉集』の末尾四巻を「家持の歌日誌」とする見方もあります。『万葉集』の一割強ほどの歌が、家持の歌でありました。以下、三回に分けて家持について見ていきますが、今回は、その青春時代、家持がとりわけ深く関わった女性、紀女郎とのやりとりをながめていきます。お互いが、倒錯した関係を演技として楽しんでいること、そこに天平期の爛熟した貴族文化の一端がうかがえることを指摘します。
〇第一四回 大伴家持②
大伴家持は、天平一八年(七四六)、越中守となります。以後、満五年をこの越中で過ごすことになります。越中は北国ですから、奈良の都とは風土を大きく異にします。その異質な風土に触れる中で、さまざまな発見がありました。みやびの世界からながめた鄙の世界の発見があり、また同時にみやびの価値の新たな発見、つまり再認識がありました。ここでは、その様相を「立山の賦」「越中秀吟」などの作を通じて、ながめてみたいと思います。
〇第一五回 大伴家持③
天平勝宝三年(七五一)、大伴家持は越中守の任を終え、都に戻ります。藤原仲麻呂が権勢を掌握する中、大伴氏のような守旧派は、徐々に窮地に追い込まれていきます。そこで詠まれた歌が、家持の最高傑作とされる「春愁三首」です。家持はさらに、大伴氏一族の結束を訴え、聖武天皇の御代への懐旧の思いを募らせたりもします。しかし、橘奈良麻呂の変の後、家持は因幡守に左遷されることになります。そこで詠まれたのが、『万葉集』の最後の歌になります。
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